夜遅くに、すみません
こんなに腹がたったのは久しぶりです
私は自分自身が子どもを大切にして、自己犠牲をして、その子に集中するというのは構わないと思います。
ですが、就学前の子どもがいる母親がイベントを開催したり、あまつさえ子どもを連れてイベントの為に家をあけて旦那さんを一人にすることに対して言語道断っていう神経が理解できません。
なんでこんなことを書いたかというと、こんなエントリーをよみました。
すげえ腹立つわ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』
なんかね、すごい違和感を感じたんです。
どんな内容か
ざっくりいえば、子どものために、イベント開催する親をバカ呼ばわりしています。
そして、それに2万ものイイねがついているんですよね。これに驚きなんです。
朝早くすみません
こんなに腹が立ったのは久しぶりです
私は赤ちゃんを連れて居酒屋に行こうが、イベントに参加しようが、それはお母さんが子どもを気にかけながらだったらたまには構わないと思います(略)
ですが、就学前の子どもがいる母親がイベントを開催したり、あまつさえ子どもを連れてイベントの為に家をあけて旦那さんを一人にするなど言語道断だと思います
旦那さんがいて、就学前の大事な時期の子どもがいて、その旦那さんの稼ぎがあってなお、無添加なんちゃら、オーガニックなんちゃらだの、さも「子どものため」と言わんばかりの聞こえのいいイベントを開催して家を空けるのは、本当にそのイベントは子どものためと言えるのか?単にてめえの自己顕示欲じゃねえのかよ
母親もひとりの人
母親って、子育てのために自己顕示欲を押し殺さないといけないんですかね。
自分のしたいことを、子どものために捨ててまで、子どもを育てないといけないんですかね。
僕は違うんと思うんですよ。母親も一人の人なんです。自由な時間があっていいし、自分のことに時間を使ってもいい。
社会に認められたいと思うのも当然の心理だし、小銭を稼いで家庭が少し金銭的余裕ができるなら、それはそれで立派なことだと思います。
共働きの方が虐待が少ない
共働きの家庭のほうが虐待が少ないというデータもあります。
ずっと子どもと一緒にいることで、母親が病んでしまったり、子どもの虐待につながったりするのなら、母親が社会に出ていくの、もっと認められてもいいのではないでしょうか。
母親は子どもの奴隷ではない
母親が階段から降りてくる足音に合わせて
両の手が腫れる程叩かれました
情けない、とも言われました
それでも嬉しかった
やっと自分を見てくれた、と思って、嬉しかった
母親はほどなくして
革手芸を一旦辞めました
週に一回もしなくなり
代わりに編み物を教えてくれたり、茶道を教えてくれたりするようになりました
革手芸を再開したのは
私が中学生になり、部活をやり始めてからです
ぞっとしました。なんでこれが美談として語れるのか。母親はあなたの奴隷なんでしょうか。召使いなんでしょうか。
母親だって一人の人としての人生があります。社会的な承認欲求をもってもいい、認められてもいいはずです。
やりたいことをやってはいけないんですかね。
母親が窮屈な社会
この話が、もし母と父が逆で、父が専業主夫で、母親が外で働いている状態だったらどうなんでしょうか。
『就学前の子どもがいる(専業主夫の)父親がイベントを開催したり、あまつさえ子どもを連れてイベントの為に家をあけて(普段仕事をしている)母親を一人にするなど言語道断だと思います。』
って、たぶん成り立たないんですよね。
日本は、「母親」にだけ、過剰期待なんです。「母親」への理想が異常に高いんです。
それは、男性だけではありません。むしろ、この人のように女性が、女性を攻撃するんですよね。
自分自身がどういう生き方をするのも自由です。子どものためだけに生きるのも自由です。
ただね、社会に出ようとする子持ちの母親を攻撃するのはよしましょうよ。
母親の代わりに父親なり他の人がきちんと育児をしているなら、イベントいったっていいじゃないですか。なんですべてを母親に背負わすんですか。
旦那は子どもじゃない
もう一つひっかかったのが、旦那さんを一人にすることを批判しているところです。「何がダメなの?」っていう感じです。
母親は旦那の母親ではありません。一人でご飯ぐらい用意して食えっていうんですよ。
ついでに洗濯、掃除ぐらいできるでしょって思うんです。なんで、そんなに男には甘いのに、女には厳しいんですかね。
母親がイベントに参加している時間は、父親が育児をやればいい、ただそれだけのことです。父親だからこそ教えられることもあります。
育児は母親しかできないことではありません。
母の日のプレゼントは自由時間
僕の母の日の妻へのプレゼントは、自由時間です。
娘ちゃんも生まれて3ヶ月たって少し落ち着いてきたので、これからの日曜日の2-3時間ぐらいは自由にしてもらおうと思いました。
赤ちゃんがいるとなかなか外にでる時間もありませんからね。運動、ショッピングしてもらって気晴らしです。
そんな時間があったっていいんじゃないですかね。
それで、家で僕が娘ちゃんを見ながら、クリームシチューつくったり、あやしたり一緒にお昼寝したりしました。
娘ちゃんと二人っきり…大変です。ただ、週50時間以上妻は、娘ちゃんと二人っきりなんです。
それを考えたら、週に少しぐらい子どもから離れる時間があってもバチは当たりませんよ。
バランスが大事
バランスって便利な言葉ですが、やっぱりバランスなんですよね。
子供のために親がやりたいことを我慢するのは正しいことなんですか | トリイケンゴ.com ( ・`д・´)
こちらのブログでも、この件について書かれていました。
子供は、親が思ってるよりもきっと複雑に、そしてずっと賢い目でこっちを見てる。
あなたが子供のために何かを我慢しているなら、きっとそれもバレてるよ。
でも、自分がやりたい事をやっていても、ちゃんと愛しているならきっと伝わってるよ。
本当にそのとおりだと思います。
僕は、両親ともに育児放棄してまで、社会に出る姿を肯定するわけではありません。きちんと、育児をしていることが大前提です。それは、母だけでなく父も含めてです。
育児の責任をすべて母親に背負わして、手に、足に枷をつけることを女性に望む社会にはなってほしくないんです。
ただでさえ、経済的にも時間的にも大変なのに、社会的にも抹消されないといけないなら、子ども作りたいと思えませんよね。怖いのは、それを女性が女性に求めるという点です。
「女は子どもが小さい頃は家にいなさい」という思想は、これからの日本を豊かにしますかね?僕はそう思えません。
あとがき
うちの母親はどちらかというと自由奔放な人でした。
母子家庭ながら、結構自由に遊びまわってました。
それで、当時は寂しい想いはしたし、もっと母親らしくして!とここに書いたことと、逆のことを思ったこともあります。
ただ、そういう親に育ててもらい、寂しい思いをした上でも、母親のすべてが子どもになる、それを社会が望むのはおかしいと思うんです。
親は親、子は子なんです。それぞれの人生があります。
母親が社会にでることをもっと寛容な社会のほうが、生きやすく、子どもも産み育てやすいと、僕は思います。